文化

「便利」と引き換えに失う「正しさ」

毎日やらなければいけないことに追われてしまい、
何が正しいことなのかなんて考える余裕なくなっていませんか?

そこで今回は、便利さを追求していくといつの間にか社会から失われてしまう「正しさ」について僕が日頃思っていることをお話してみようと思います。

壊れたら新しいものを

現代社会が継ぎ目のないように思えるほど便利なのは、品質がものすごく高い工業製品が巷に溢れているからです。

工業製品とは、例え壊してしまっても全く同じものを作ることができるものを指します。これに対して、一度壊してしまうと、二度と同じものを作ることができないのがクラフト製品と呼ばれます。

僕らの日常生活を見渡してみると、ほとんどが工業製品であることに気が付きます。工業製品は同じものを大量に作ることができます。生産コストを低く抑えることができるため、消費者にとって手が出しやすい安価で販売することができ、どんどん購入されていきます。

しかし、だからといってプラスチックや陶磁器など金属以外の工業製品の耐久性は高いとは限りません。案外あっさりと壊れてしまうことがあります。

さて、壊れてしまったものをどうしましょう?

例えば、大量生産されて安く手に入った皿が真っ二つに割れてしまいました。あなたはその皿を修理ししますでしょうか?

おそらくは捨ててしまうはずです。なぜなら修理に出すよりも新しいものを買った方が多くの場合は安く済みますし、何よりも生産者は、自動車や高級家電など以外は修理することを前提として製品を販売していません。

「壊れたのでしたら、新商品をお試ししていてはいかがですか?」と、実店舗でもECショップでも消費者に対して勧めてくるはずです。

1950年代以降、このようなサイクルが世界中で繰り返された結果、今日のような大量生産・大量消費社会が形作られていきました。

世界を支えているもの

今日の世界を支えているのは石油を原料として製造されている製品です。

石油からできているものといえば、自動車や飛行機の燃料、道路を作るアスファルトや建築資材、そして、何といってもどこにでもあるプラスチックです。

プラスチックに全く触れることなく1日を過ごせる人が今世界にどれくらいいるでしょうか?おそらくその数は限りなく少ないはずです。

もしもプラスチックが存在しなかったら世界は全く違うものになっていたでしょう。

生活の中でどのくらいプラスチックが使われているのか少しみてみましょう…

朝になりました。新しい1日の始まりです。

目が覚めるとそこは、プラスチックをふんだんに使用した壁紙が貼られた部屋です。

トイレに行って電気をつけようとスイッチを押す…そのスイッチはプラスチックです。

スイッチだけではなくプラスチック抜きに今日の送電線やサーバーを維持することもできないために電力供給量は制限されることが予想されるので、朝のトイレでは電気を付けるという選択肢は無くなるかもしれません。

天気予報をみようとスマホを手にとる…もちろんスマホもプラスチックです。

着替えようと手に取ったシャツや靴下にはおそらく少しは化学繊維が使われています。

出かける際に履く靴にもほぼ間違いなくプラスチックが使われています。

眠気覚ましにカフェでコーヒーをテイクアウトすれば、カップの蓋はもちろんプラスチックです。でもそれだけではなく、一見紙に見えるカップの内側にもプラスチックコーティングがされています。そうでなければ液体を長時間染み出さずに入れておくことはできません。

コンビニに入ればそこはプラスチックの楽園です。パンやおにぎり、お菓子や雑貨の包装にペットボトル、妙に魅力的なレジ脇のホットスナックの包み紙の内側も実はプラスチックコーティングがされています。

僕が今こうしてブログを書いているPCも存在していないことになりますし、お風呂ではシャワーにスポンジやボトル(というか浴室全部)、台所ではラップやタッパーも無いとなると…結構不便になりそうです。

それならまだしも、医療機器にもプラスチックはふんだんに使用されておりますので、医療水準は今よりずっと低くなるでしょう。これは大問題です。

このように、金属や木材、ガラスよりもはるかに柔軟な用途に使用することが出来る上に安価で耐久性も高いプラスチックは、1950年代以降、その利便性をもってして人間の限りない欲望に応えてきました。

正直なところ、プラスチックのない世界はかなり不便な印象を受けます。でもだからといって世界は必ず不幸になるでしょうか?

正しいことは増える

人命に関わる医療のレベルが下がってしまうのは大問題ですが、それ以外のプラスチック製品が必ずしも命に関わるほど重要というわけではありません。

細かいことは抜きにして、プラスチックのない世界では、人間はあらゆるものをもっと大切に使うはずです。

直近の約70年間を抜きにした人類史で、これほどものに溢れている時代はありませんでした。人間は何でも自然から得られる量の範囲の中で生活してきました。そうするしか選択肢がなかったことで、世界の人口は今よりずっと少なく、文明の発展は緩やかでした。

僕は何も、今からその時代の生活に戻るべきだと言うつもりは更々ありません。しかし、使い捨てが当たり前の生活はやめる必要があると思います。

大量生産・大量消費の世の中は、次から次へと消費者に販売する商品を購入してもらうことを前提にデザインされています。そのために、たとえ地球環境に良くないものでも、消費者にとって必要とは言えないものでも販売され続けてきました。

そこには倫理的に正しくないことが多分に含まれています。そんなことは多くの方がわかっているはずです。

「わかってはいるけれど、食っていくために稼がないといけない。だから嫌なものも売る」そういう感情が今の世の中に溢れかえっています。

使い捨てを減らす、壊れたものは修理して使うという習慣を取り戻すことで世の中の便利だけれど正しくないことは少なくなるでしょう。幸いなことに、日本には修理することで新品よりも美しくするという「金継ぎ」という技術があります。

僕は、金継ぎを通して微力ながら世の中の過剰な消費欲にブレーキをかけていけたらと思っています。まだまだ初心者ですが、金継ぎ、そして日本文化の魅力を世の中にお伝えしていきますので、また僕のブログを読んで頂けますと幸いです。

それではまた〜

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