煎茶道 文化

メンタルの味方【お茶】

皆さん、お茶飲んでますか?

今回は、お茶習慣が与える精神面での効能について、僕が日々感じていることをシェアしていきたいと思います。

現在の自分の生き方に迷いを感じている、人生の目標が見つからないという方にとって何かのヒントになるかもしれません。

どうぞ最後までお付き合いください。

現実から切り離された時間の中で

まず初めに、お茶を煎れるという行為は、最終的に飲んでその美味しさを楽しむことができるだけではなく、味わうまでの過程も特別な時間になり得ます。

むしろお茶は、煎れている時間の方が大事なのではないかと思うほどです。

どうかスマホやパソコンからは距離を置き、可能な限り一才の情報を遮断した環境の中でお茶を煎れてみてください。

日常生活では意識が外に向かいがちでなかなか見えない自分の心を見つめる準備が徐々に整ってくることを実感できると思います。

『茶禅一味

という言葉があるように、お茶と禅ははるか昔から強く結びつきながら今日まで伝えられてきました。

元々お茶は中国の禅宗の寺において坐禅の間の眠気覚ましのために飲まれていたものが日本の臨済宗の開祖・栄西によって日本に伝えられました。

それから時は流れ、人間はどう生きるべきかという物事の本質に迫る禅の教えを日常生活に落とし込む習慣として普及していきました。

侘び茶を確立した千利休、そしてその師匠筋にあたる一休宗純、村田珠光、武野紹鴎ら全員が禅の修行を積んでいることからも、いかにお茶が禅の教えを体現し、心の目を開くための修行として適していたかが伺えます。

禅が与えた影響は茶の湯(抹茶)だけではなく、煎茶道にも脈々と活きています。

しかし、たった一度静かな環境でお茶を煎れたからといって自分の心と向き合えるわけではありません。

毎日の習慣としてお茶を煎れていると、ある日突然「これかな?」と気が付かれると思います。僕の場合ですと、その類の最初の気付きは煎茶道の稽古を始めてから3年後のことでした。

効果を実感できるまで3年もかかるのではやってられないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、手強い油汚れのような心の曇りを確実に取り除いていくには時間がかかるのです。もちろん僕も道半ばです。

長い時間がかかるからと言って毎日30分座禅をしなければならないというわけではありません。

ただお茶を煎れればいいんです

ここでいうお茶はなんでもいいと僕は思います。煎茶が好きな方は煎茶、紅茶の方がよければ紅茶を無心で煎れてみましょう。(お茶が嫌な方はコーヒーでもいいでしょう!)

その結果ご自分の好きなお茶を飲めるという報酬があるのですから、そんなに辛そうな感じはしないのではないでしょうか?

毎日15分ほど時間を作り、ただ美味しくなるようにお茶を煎れるそれだけで人生が好転する可能性があるのですから、ぜひ一度試してみてください。

また日常に戻る

自分の心と向き合うお茶の時間を過ごしましたら、当然ながら日常生活に戻ってこなければなりません。

「嫌だな〜…」と感じられるかもしれませんが、おそらく戻ってきた日常の観え方は、お茶習慣を続けていくうちに少しづつ変わっていくと思います。

それこそ、手強い油汚れのような心の曇りが徐々に取れてきた証として実感していただけることでしょう。

これはスピリチュアル的なことではありません。長い時間をかけて東洋で発展してきた禅という哲学思想にアクセスする手段の一つです。

これが西洋であれば哲学という学問を学場なければその境地に触れることはできませんが、我々日本人は茶道だけではなく、書道や華道など日常の何気ない行為に哲学の思想が落とし込まれている文化に容易にアクセスすることができます。

これはかなりラッキーなことです。だからこそ信頼がおけますし、実践するに値するのです。

僕ら現代人の心は常に、とめどない情報の荒波に晒されています。消費者としての我々の意識は気を抜いているとどんどん未来思考に誘導され、今この時が空っぽになってしまいます。

自分の生き方に悩む人が増えるのは当然の社会が出来上がっています。

だからこそ自分の心と向き合う時間がとても大切なのです。

自分という鏡にこの世の中をどう映すか

人生は、長いようであっという間です。できれば健やかに、納得して生きていきたいと誰もが思うことでしょう。

そのための習慣としてお茶は最適です。

どうか試してみてください。

それではまた!

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