日本には茶道や花道、書道や香道のように「道」と名のつく伝統文化が数多くあります。
それらの文化には「禅」の思想から多大な影響を受けています。
この禅ですが、よく耳にはするけれど、なんだか掴みどころがない、正直よくわからないものです。
先日、オーストラリア在住の友人と「禅って何だろうね?」って話になり、外国人に禅を英語で説明するなら何になるだろうと色々と話した結果、
たぶん(完全には当てはまらないだろうけど)Philosophy【哲学】になるのではというところに落ち着きました。
教えることのできない哲学
西洋、特にヨーロッパにおいて哲学は、最上位の学問であるとされています。
イギリスの政治・経済のエリートを数多く輩出しているオックスフォード大学では、未来のエリートは哲学・政治・経済が一緒になった学部で学ぶといいますし、
フランスの大学のフリーパスであるバカレロアの試験では「アートは美しくあるべきか」のような哲学的な問題が必ず出題されます。
なぜそれほど哲学が重要かというと「対象物がなく、思想それ自体が考える学問」だからです。
初めてこれを聞いた時、僕は何を言っているのかわからないさっぱりわかりませんでした。
思想自体が考えるってどういうこと?って思いますが、他の学問と比較してみると少し納得します。
例えば、現代の宗教ともいえる科学は自然界でおこる事象を解明する学問です。
例えば、生物は「細胞という単位からなり、自己増殖・刺激反応・成長・物質交代などの生命活動を行うもの」と定義されています。
つまり生物とはそういうものだということがもうわかったことにされています。
それでは…ウイルスはどうなるのでしょう?
ウイルスは自己増殖はできないけれども、宿主の細胞に入ってその生命装置を用いた物質交代のもとでは増殖が可能になります。
それならウイルスも生物なんじゃないか?
そもそも生物の定義自体ってこれでいいのか?という感じで「物事の本質」をつかむために思考を巡らせていくのが哲学です。
難しいですよね?
僕は哲学に触れていると頭がとっても疲れます。
でも物事の本質を捉えようとする思考は、答えの用意されていない課題に対して答えを出すためには必要なアプローチです。
だから西洋において哲学は最上位の学部であり、エリート必修の学問なのです。
日本の哲学
西洋においての哲学を強いて日本に当てはめるなら…それは禅となるでしょう。
僕自身、禅と哲学の本を読んでいると「あれ?なんか同じこと言ってない?」と思うことがあります。
「過去や未来は存在せず、今しか存在しない」なんていう考えは、洋の東西関わらず人間が考えに考え抜くとたどり着く思想みたいです。
そして、日本の驚くべき点は崇高な禅の思想を日常生活に落とし込んだところです。
ただお茶を淹れる、花を活ける、字を書くなどの日常のありふれた動作を通して禅の思想にアクセスできるようにデザインされています。
そんな文化を持つ国は日本の他におそらくありません。
だからこそ日本の文化、そしてその中で生活している日本人の振る舞いは外国の方の目にはとてもユニークに映るのでしょう。
昨今の日本は暗いニュースばかりが目につきますが、そんなこととは関係なく、日本の文化は全く輝きを失っていないと思います。
何かと近視眼的になってしまいがちな僕ですが、哲学や禅の考え方に触れることで、自分は残りの人生をどう生きるべきか、そして、自分の命が尽きたその後にもつなげるべきことは何なのかを深く考えさせられます。
だからこそ、今から約1300年も前に達磨が禅の礎を築いてから、今日至るまで長い時を超えて数多くの方に支持され、磨かれ続けているのです。
ご自身の興味のあるところから「道」に入り、禅の思想を体感してみてはいかがですか?