煎茶道のお手前には、たくさんの守るべき「型」があります。
これがどうも堅苦しくて茶道に興味が持てないという方は世の中にごまんといると思います。
かくゆう僕も御多分にもれず、なかなか型が好きになれない一人でした。
「なぜこのようのなまどろっこしい動きをしなければならないのか?」
煎茶道を学び始めた当初は幾度となく稽古中にそんなことを思っておりました。
僕に稽古をつけてくださる先生が若かりし頃は、所作について質問しても「いいから教えた通りにやりなさい」と一喝されていたそうですが、今はいい時代になったもので、疑問に思ったことを質問すると、先生は疑問が晴れるように丁寧に教えてくれます。
その都度、「確かに次の動作のことを考えると、そうした方が綺麗だな」と納得させられることばかりなのです。
煎茶道の所作には本当に無駄がないのです。
行雲流水
空を行く雲や、川を流れる水のように力強くて迷いがなく、美しい所作の連なりによってお手前はできているようです。
何度も稽古を重ねていくと徐々に体に染み込むようにそのことを思い知ることになります。
これは話を聞いただけでは決してわからない体験によってのみ得られる感覚です。
最初は型が体に染み込んでいないので、「次は何だ?」と頭で考えながらお手前をしていき、気がつくと頭で考えなくても体が勝手に動くようになってきます。
それでもうっかりして動作が抜けてしまうことがあります。
「しまった、失敗した」その時はそう思うのと同時に、「なぜ抜けてしまったのだろう?」と考えることができます。
やりかけの仕事のことを考えていたり、帰宅してから飲むビールのことを考えていたのかもしれません。
理由はどうあれ、心が乱れて目の前のお手前に集中できていない時に動作が抜けてしまいます。
自分の心の状態を観察しているということは、自分の注意が自分の心に向いていることを意味しています。
油断していると、あらゆるものに注意を奪われてしまう現代社会で、自分の心に注意を向ける時間を設けることは案外難しいかもしれません。
その点も煎茶道の素晴らしい点だと僕は思っています。
感情を溜める器
お手前は自分一人だけで行うものではありません。
必ず煎れたお茶をふるまうお客さんがいらっしゃいます。
お手前さんとお客さんが協力しなければ、お茶会では、とことん気まずい雰囲気を作ることができるでしょう。
しかし、当然ながらそんなことはされません。
そしてここでも、型はとても大事な役割を果たしてくれます。
お客さんにもお茶会に参加する際の型があります。席につきお茶とお菓子をいただいて退席するまでの間、決まり事があります。
それがあるからお客さんは安心してお茶を待つことができるのでしょう。
もし型がなくて、今回はどのタイミングでどこからお茶が出てくるかわからない、いや...そもそもお茶が出てくるのかどうかもわからないなんて状況だったとしたら、その場を楽しむことは難しいですよね?
型があるから皆安心してお茶会に参加できるのです。
そして参加者の緊張・楽しい・楽しい・こわいなどの感情が溢れないような器の役割も、型が担ってくれているのだと僕は思います。
終わりに
今回は、一見堅苦しく思える煎茶道の「型」についてのお話でした。
僕は、煎茶道を学び始めて4年目にしてようやく型のありがたみに気がつき始めました。
その味に気がつき始めただけで、まだまだ全てを理解したということではありません。
ただ急須でお茶を煎れるという極めて日常的な動作なのに、煎茶道は本当に奥が深いです。
やはりお茶で大事なのは味だけではないようです。
引き続き秘められたお茶の真髄を垣間見ていきたいと思います。
それでは今日はこの辺で。
【茶道を始めたくなる参考図書】